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館長のヒトリゴト

たかがではなく「されど市民ミュージカル」。市民参加型表現活動と果実をこれからの地域財に!

2020.02.20

何時も公演が終わってしまうと色々あろうが「まぁ、良かった」で忘れるようにしています(忘れないと次が始まりませんからね)。が、今回は中身が濃すぎてその履歴が薄まることも忘れることもないかもしれません。

試練と挑戦の奇跡のドラマ、それは予想だにしなかった台風19号被災による公演の延期問題から始まりました。市民参加者にとって延期公演は苦渋の選択であり一つの賭けでもあったはずです。
延期時期によってはインフルエンザなどウィルス性感染症の最盛期と重なります。また学生には受験や試験が待ち受けています。仕事にも影響が及ぶことは必然でした。

また代替会場確保にあたっては、近隣施設全ての予定が土日や祝祭日は既に埋まっており中止も視野に入りました。そこに手を差し伸べてくださったのは小泉小諸市長です。その過程には、小諸市で活動されている土屋芳美先生とジャズダンス教室の皆さま、さらに松本施設長を始め小諸市文化センター職員の方々の尽力がありました。小諸市公演の成功の陰に大きな支えと本気の支援があったことを忘れることはないでしょう。

次にアウェイである異なる公演会場への適応。プロではない市民出演者や市民舞台スタッフ、そして製作委員会メンバーにとって、未知なる不安が終始付き纏いました。スポーツで語られるアウェイと似た感覚のように思います。

そして長野市公演における広報宣伝・集客の甚だしい遅れとその解消から盛会への道すじ。

当初は佐久公演終了(11月10日)を待ってスタートする計画でした。ところが延期騒動ですっかり後回しに。その結果、年が明けた1月7日時点ではチケット販売は70枚そこそこ(会場のキャパシティは1階席使用で980席)。この乖離は正に「嘘でしょ!」の一言。つまり関係する僅かな方々しかご存じない公演だったんです。

そこでやり繰りすれば動ける私と小林製作委員さんとで急遽8日に長野市を訪れました。オフィス繭の尾崎社長のお手配のもと、SBC、信濃毎日新聞本社、FMぜんこうじ、週刊長野新聞社、長野市市民新聞社の各社を回って記事掲載や報道のお願いに。さらに前回大きなご協力をくださった高島議員のお力もお借りするべく面会。合わせて丸岡秀子さんの母校、長野高等女学校(現・長野西高等学校)と同協会をお訪ねしてご挨拶。温かな真心に助けられて長野市公演に向けた大きなうねりが開始されました。公演まで残る時間は約1ヶ月ちょっと。

結果として長野市からの出演者や合唱二団体(ユリーカ女声合唱団・少年少女合唱団)、夢幻工房、DANCE TIPSの皆さま、そして関係者や丸岡秀子さんに感心や縁がある方々、さらに小諸市公演のリピーターや新聞等の記事をご覧になった皆さまがチケットを購入、会場に足を運んでくださいました。

その数は782人(音響席・花道、映像機材席を除き930席を準備)。
身内や親族だけではない、また佐久市とは繋がらない、見ず知らずの多くの他人さまがチケットを購入くださった訳です。獅子奮迅で取り組んでくださったこの有り難い事実もしっかり命に留めおきたいと思います。これも奇跡と呼べる一つかもしれません。

創作現場でも有り得ないエピソードの数々に唖然とする事例は沢山ありました。詳しくはキリがなくアップしませんが、その筆頭はエア・場当たり(前のFacebook投稿をご覧ください)。そして場当たりなしのゲネプロ・いきなりステージ(ステーキなら最高なんですが(笑))。

音響や照明などプロ・スタッフも愚痴は溢しませんが大いに面食らったのは言わずもがな。もちろんプロではないアマチュア市民出演者や市民舞台スタッフ、これに怯むことなく果敢にチャレンジくださったからこその奇跡の舞台と相成りました。

市民劇で私が心がけていることは勿論作品としての完成度、成立ですが、自身のこだわり達成に満足するつもりは毛頭ありません。
大切にしていることは個を尊重し、その人の持つ良い部分を少しでも引き出し、魅せてあげること。場当たりが出来なかったこと、長いお稽古に心が折れなかったかどうか、幕が降りた今でも気がかりなことです。

さて振り返れば正に今公演そのものが丸岡秀子さんが示された「読むこと」「書くこと」「行うこと」の体現だったように思います。そしてどんなに辛くても乗り越え成し遂げる精神の強さの学び。きっと途中で見かねた秀子先生が、「諦めない、諦めない」、何度も背中を押してくださったんだと思えてなりません。そんなキセキが重なったこころのミュージカルでした。

最後にもう幾つか。参加した一人一人が自分らしく、最後まで己を信じて力を出し切ったこと。そして大きく成長されたこと。付け加えるならば女性の地位向上に奔走された佐久市出身の先人、丸岡秀子さんを多くの方々にご覧いただけたこと。奮闘する佐久市の文化芸術活動の一端を垣間見ていただけたこと。心を逸にして努力すれば地域を跨いでの発信が叶うこと。

演出家の立場を離れ地域ホールの館長職責としても、このことはとても嬉しく誇りに思っています。

市民ミュージカル(市民参加型表現芸術)、公演発表は確かに目標でありゴールかもしれません。しかし目指す道はずっと未来に向かって続いています。発表までの取組や歩み、そしてこれからの過程にこそ本当の目的があると改めて確信できました。また地域を題材とすることで新たな絆や交流が生まれます。これこそ地域財となりうる確固たるファクターではないでしょうか。

♪どんなに暗い夜でも朝陽は上る♬
歌詞の一節です。こうして昇った朝陽をしっかり身体に浴びながら、今日からまた歩んで行きましょう。本当に本当にお疲れ様でした。そして皆さんありがとうございました。

備忘として書き残します。  奥村達夫86418760_2223990714574445_8547173571183509504_n 86339256_2223990934574423_459484380239233024_o 86665815_2223990844574432_1569440419291332608_o